私が社会福祉士になった訳
~~後悔の物語り~~
☆ここにご紹介する事例は、ご本人の許可を得ております
一見しあわせそうだったAさんの 実情
夫との関係に悩む、外国籍の女性から
初めて悩みを打ち明けられたのは もうずいぶん前のことになります。
そのころ私はカウンセラーとして、口コミで相談を受けていました。
その女性Aさんは、
気品の感じられる優雅な物腰の優しい人でした。
ところが、その相談内容は壮絶なものでした・・・。
①夫に女性ができ、Aさんと子どもたちを置いて出て行ってしまった。
しかもそれは初めての不倫ではなかった
②一方的に離婚を言い渡され、仕方なく判を押してしまった
③その女性にすべてのお金をつぎ込み、養育費はもらえなかった
④将来に備えて必死で貯めてきた子どもたちの学資保険や
Aさん受取人の生命保険から
勝手に限度額いっぱいの借り入れをしていた
⑤自宅にサラ金業者から借金返済の督促状が届くようになった
⑥やがて女性とあまり上手くいかなくなった元夫は、
離婚したはずのAさんの家に頻繁に戻ってきては、
「やり直したい」「今度こそ幸せにする」と言って
他に頼る人もいないAさんの心を揺さぶり、
「そのためにお金がいる」と
Aさんのパート代から なけなしのお金を借りていったり、
食事までしていくようになった
それにもかかわらず結局は女性の元へ帰って行き、
Aさんは何を信じて良いのかわからなくなり、
やがて鬱状態になった
⑦当たり前のようにたびたび戻ってくる元夫に、
Aさんが「渡したくてもお金はどこを探してもない」と断ると、
喧嘩になり襟元をつかんで壁に打ち当てたり、
殴ったりするようになった
⑧夫による長期の家賃の滞納により、退去の連絡がきた・・・
Aさんのカウンセリングが始まりました
普通に考えれば、
「なぜそんなにひどい元夫を受け入れ お金を渡してしまうの?」
「なぜ食事まで作ってあげちゃうの?」
「さっさと逃げればいいじゃない」
そう思うことでしょう。
そこにはAさんの価値観が強く関係していました。
Aさんは責任感がとても強いかたで
子どもや他人の前では苦しさを隠して
できるだけ穏やかに明るく振る舞っていました。
どんなに辛く厳しい状況でも、
他人に迷惑だけはかけないようにと
心で泣きながらも一生懸命に笑顔を取り繕ってがんばっていました。
辛さに負けて人の道を踏み外してしまう人もいる中、
その姿には尊敬の念を抱きました。
Aさんは、子どもたちを育てるためには
自分が我慢するしかないのではないか、
父親がいたほうがいいのではないかと
考えていると訴えました。
そして、今度こそ自分と子どもたちの元へ戻ってきてくれる、
幸せになれるかもしれない・・・
という希望を捨てられないのでした。
ひとりで生きた方がよほど楽なはずですし
Aさんは十分ひとりでやっていける能力があると
私は確信していましたので、
彼女の気持ちに共感しつつも、
思い切ってはじめの一歩を踏み出すよう繰り返し勇気づけました。
「何とかしてあげたい!」
しかし当時の私には、カウンセリングの技術はあっても
彼女の生活の助けになる社会制度などの専門知識は
持ち合わせていなかったため
ただ彼女の悩みを聞いて
自信を持てるように手助けすることしかできませんでした。
しかし、彼女が自信を持てず、
元夫への依存を断ちきれない本当の理由は、
「天涯孤独の身」という、
言いようもない深い孤独と不安からだったのです。
Aさんには、日本に親兄弟も 親戚すらもなく、
頼れる人は元夫しかいないのだと諦めにも似た気持ちでいました。
私は、具体的な支援に結びつけることができず
ふがいない思いを抱いていました。
Aさんの気持ちに耳を傾けるだけではなく、
支援のために一緒に動かなければ、
彼女はいつまでも現状のままの恐ろしく理不尽な状況に
甘んじるだろうと感じました。
Aさんの自立へ向け 動き出す ~ところが・・・
Aさんの自立へ向けての第一歩は、家探しです。
元夫の影にビクビクしなくてすむように・・・。
言葉に不安もあり、外国人は家を借りにくいこともあって、
一緒に不動産会社をまわりました。
少々家賃は高いけれど職場まで座って行ける始発駅のアパートを
みつけることができました。
つぎに、経済面の支援はないかと
行政機関から紹介された無料相談に同行しました。
ところが・・・。
私が経緯の説明をしたのですが、
「そんな家賃の高いところに住んでちゃだめ、
まずは(彼女の必需品である)車を売って、
その上で、市営住宅などの申し込みをすれば優先されますよ、
貸し付けもあるけれど、
仕事を持っていてある程度の収入があると難しいですね、
子どもの大学進学ですか~
それはまあ~考えるのは難しいでしょうねぇ」
・・・といった四角四面なアドバイスでした。
Aさんは、自分がどんなに苦しくても、
末の子どもぐらいは大学に行かせてあげたいという
強い希望がありました。
金銭面でずっと苦しい思いをしてきて、
このままでは子どもたちにも
同じ思いをさせることが目に見えている、
その負のスパイラルから抜けるには、
きちんとした就職につながる「大卒という学歴」が
絶対に必要だと考えていたAさんにとって、
「何を考えてる、お金がないんだから
大学は諦めるのが当たり前の感覚でしょう」
と暗に言う その担当者の対応は、
未来を明るく照らしてくれるものとは正反対だったのです。
「どうして私の気持ちを分かってもらえないんでしょう」
そう言って涙ぐむAさんでした・・・。
弁護士に相談するも、時すでに遅し・・・
一緒に探した新居に引っ越したAさんは、
これまでより通勤も楽になって疲労の度合いが減り、
徐々に心も落ち着いてきましたが
それと同時に、
いかに自身が虐げられてきたかに気づき始めました。
これまでの仕打ちに対する恨みがむくむくと頭をもたげてきて
どうにもこらえきれなくなったのでした。
「慰謝料をもらいたい」ということについては
請求はできたとしても、相手が借金まみれであるとなれば
実際に受け取ることはできないだろうと想像がつきました。
それでも、「何かしら得られるものがあるかもしれない」と思い、
とある法律事務所を訪れました。
圧倒されそうなほど立派な事務所の中の個室に通されました。
話を聴いてくださった弁護士さんは、
「ひどい話だな、それはお金取れますよ。」
「支払いは分割でいいですよ」とおっしゃっていたのですが、
離婚届を出したのが3年以上前、と聞いて、
表情をこわばらせたのでした。
慰謝料には時効があり、それは3年。
そして、離婚後に夫の厚生年金の一部を妻側に分配する「年金分割」という制度も、時効が2年だということがわかりました。
養育費も様々な事情を鑑みると、骨折り損になる可能性が高いだろうということに・・・。
ふたりして落胆して帰路についたことを、
今もありありと覚えています。
ああ、もっと早く行動していれば・・・。
私に法的な知識があれば・・・。
その時の無力感、無念の思いから、
私は「社会福祉士」という資格を取りたいと思い
勉強を始めたのです。
~Aさんの その後 ~
その後も
はらわたが煮えくりかえる思いと
車を売ったけれども残ってしまったローンの支払いは残り、
元夫への恨み辛みを抱え続けていたAさんでしたが、
時間をかけて思いを吐き出すだけ吐き出し、
その後は
「このままずっと元夫を恨み続けるよりも、
気持ちを切り替えて前を向いて生きていった方がきっといい。
今を少しでも楽しんでいこう」
といった考えに徐々に変化していきました。
そしてAさんに少しずつ笑顔が増えていきました。
Aさんが元夫の存在を忘れられる日が多くなったころ、
ある出会いが訪れました。
Aさんはその男性の熱烈なアプローチを受け、
自身の新しい未来について、想いを巡らせているところです♪
(長い物語りを最後までお読みいただき ありがとうございました)
福祉制度や、支援の考え方・方法について学んだことは
たいへん役に立っています。
この知識を少しでも、苦境にあえいでいるかたのために
役立てたいと思っています。
これからも学びを深め、
実績を積み重ねながら
ご相談者の未来を照らせるような支援をしていく所存です。